会報 SHORT-NEWS[2015年5月号#308 一覧]

soukai.jpg2015年4月25日(土)13:30~
目黒区総合庁舎1F レストラン
出席者:164名(含委任状)
会員を始め多数のご来賓、加えて今年は青年会員の姿が多く見られ盛況のうちに定刻13時30分 井上奈奈さんの司会で開会。初めに大震災を心に留め続け、また物故協会関係者への追悼の黙祷を捧げた。
議事に先立ち相良会長は1年を振り返り、多くのお力添えへの感謝を表すとともに4年を経て未だに色濃く残る大震災の爪痕を思い、目黒の方々のご支援も頂きながら引き続き何らかのお手伝いを続けていく意向を示し、なお、昨年迎えた当協会60周年と法人化10年を節目として、今後は青年諸君の若い力を期待しつつ共に活動を発展させていきたいと抱負を述べた。来賓紹介(別掲)の後、青木目黒区長、尾崎目黒区教育委員会教育長より祝辞を頂き、相良会長を議長に選出議事に入る。
【審議事項】平成26年度事業報告(案)が各事業代表により報告され、会計担当から同決算報告(案)、岡田監事の会計監査報告に引き続き、平成27年度事業計画は一括事務局長、同予算案は会計担当より提示され、いずれも異議なく満場一致承認された。今年は役員任期満了による改選の年に当り、規定の手続きを経て新役員候補が提示され承認。理事の互選により相良憲昭会長、副会長に爲季繁、宮下晶子、望月昇、斉藤眞澄(新)の4氏を選出、総会はこれを承認。以上総会は15時閉会した。
終了後青年の活動報告が行われた。


広報 清水 嘉男

2015年3月23~25日 参加:16名(青年13名)
1日目はひめゆりの塔、平和祈念公園、魂魄の塔、轟の壕をガイドの長峰さんに説明をしていただきながら周りました。
沖縄戦についての証言や当時避難していたガマに実際に行くことで戦時中の辛さを本やテレビよりも近くに感じることが出来ました。
2日目は世界遺産である首里城、及び普天間基地を見ることができる嘉数高台公園の展望台、美ら海水族館、辺野古の基地予定地(車窓より見学)
道の駅かでな、沖縄ユネスコとの懇談会、と現在の観光地としての沖縄や基地の問題を抱える沖縄を知ることのできた1日でした。
最終日は国際通りを散歩しました。元は戦後の混迷期に発達した闇市ですが現在は老若男女の往来で賑わう立派な繁華街となっていました。
様々なところを訪れお話を伺うことで、より学びが自分のものとなり、また現世代の私たちが平和を語り継いでいかなくてはならないと思いました。
このような貴重な経験が出来たことに感謝しています。                         

青年 浜野ひかり  

主催:目黒区教育委員会  主管:NPO法人目黒ユネスコ協会  
2015年3月7日(土)13:30~ 中目黒スクエア2F第5・6会議室 参加者50名(外国人を含む)
講師:富樫 瑛子氏 ステイタス・ラッピングスタジオ主宰

wasi.jpg2014年秋に「和紙:日本の手漉き和紙技術」が無形文化遺産として登録された。
今回はこの和紙の文化について、富樫氏から「見て」・「触って」・「作って」の3方から和紙に親しんでもらおうと講座を行った。
前半は当日配布された資料を基に紙の歴史、製法、特徴、用途などのお話を聞いた。
日本の和紙は7世紀より始まり、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)を主な原料とし黄蜀葵(トロロアオイ)の粘液(ネリ)をつなぎとして漉き、乾燥して仕上げる。江戸時代にはその最盛期を迎えた。明治に入っても衰えず、その生産者は明治30年代に7万戸近くを数えたが現在は75ヶ所(約300戸)に減少している。 しかし現在でも紙幣用、証券用、版画・書道用ばかりでなく、薄手の和紙は美術工芸品補修用として世界中で使われている。
お話の後、各人に配布された石州半紙(島根県)、細川紙(埼玉県)、本美濃紙(岐阜県)の見本を手にし、その触感を体験することが出来た。wasisakuhin.jpg
後半は和紙を使った工作として祝い事などに使用できる箸袋と色つきの和紙でティッシュボックスを包むカバーを作った。参加者は富樫氏とその助手の方々のお手伝いのもと熱心に取り組み、出来上がったものを見せ合いながら交流の輪も広がった。 
機械化されたものが溢れている現代、日本の風土に合った人間味のある和紙に対する興味が膨らみ「次は手漉きの体験を...」と希望する声が多くあり、交流委員会では体験ツアーを計画している。ご期待ください

交流 江藤甚一郎

主催:目黒区教育委員会   主管:NPO法人目黒ユネスコ協会
2015年2月22日(日)   青少年プラザ
指導:東京工業大学サイエンステクノ 参加:小学生・保護者 35名

理数教室3.jpg望月副会長の挨拶後、軽快な音楽と共に「たくや君は見た!」光のショーが開幕された。大学生のたくや君役が進行を、博士役が実験マジックショーを行う。
ショーは3つに構成されている。

1:魔法の液に試験管を沈ませると消えてしまうというもの。2:中心に壁にみえる部分の仕掛けのあるブラックボックスにピンポン玉を入れるとどうなるか?との実験。実は光の壁であるが、子供達は「壁を切れば通り抜けて落ちる」と予想外の答えをだす。拍手や大きな声でカウントダウンを掛けながらショーは進行して行く。3:懐中電灯やCDの虹色面を利用し「光の3原則」の実験。暗い中を煌めく虹色が映し出された。光には方向や波長があり、偏光板を通すと分解して色の見え方が変えられる。また、太陽の白い光も雨粒やCD面で分解され虹色に見えるそうだ。

後半の工作では皆で偏光板を利用した万華鏡作りをした。紙の筒、セロテープ、鏡、偏光板2枚で出来上がる。隣の人と交換して美しい色の比べ合いで閉幕となった。
実験ショーも成功し、難解と思われた光の科学も子供達には楽しく理解できたようだ。終了後指導学生からは、「ショーで伝える工夫は結構難しかった」との感想があった。  

広報 篠田 啓子       

主催:目黒区教育委員会    主管:NPO法人目黒ユネスコ協会
2015年4月14日(火) 18:30~20:00   緑が丘文化会館   参加者 70名
講師:大原謙一郎 氏 公益財団法人 大原美術館理事長 倉敷芸術大学客員教授

大原1.jpg大原美術館は1930年に岡山県倉敷市に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては、日本最初の美術館である。大原謙一郎氏は創設者大原孫三郎の孫にあたり、世界と日本の文化の融合のために日夜ご尽力されてきた。
 氏は先ず大原美術館の概要を説明された。商人(あきんど)の街倉敷の『なまこ壁』と『ギリシャ様式の柱』を表玄関に併せ持つ美術館であること。この美術館の代名詞ともなっているエル・グレコの『受胎告知』の画は、洋画家児島虎二郎がパリの画廊で偶然見出したもので、現在ではこれが大原美術館にあることは奇跡だといわれていること。数々の世界的名画が所蔵されていて、戦前からの日本と世界の文化の架け橋となってきた歴史を振り返る。
また『文化は、価値はあるが万能ではない』と憂う大原氏だが、それでも『文化の融和が人類を救うのだ』と強調された。第2次世界大戦の敗戦国であるため、世界から冷たい目でみられていた日本だが、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)がシカゴで東大寺の古美術展を開いたことで、日本人は敬虔な心と高い芸術性を持った国民として理解されたのだという。文化は一人ひとりの心の中に眠っている能力を引っ張り出す力を持つ。フランスが世界中から文化の国として尊敬を集めているのは、世界の融和のために美術館が貢献しているからであり、そのことは重大な意味をもつのだと説く。
これから、日本という国が人類の宝だと世界に分ってもらうためには、文化、芸術、人文学の復権が大事であり、一人ひとりがしっかりと目を見開いて、付和雷同せずに生きてゆく必要がある。
人類はもっとお互いに我慢しなければ地球にとっても人類にとっても大変なことになるであろう。
広く視野を持って異文化の融和をはかり、日本の風格を守ろう!と力強く締めくくられた。 
その言葉は大原美術館からの明確なメッセージとなって参加者達に伝わり、ユネスコならではの講演に会場は喜びに満ちていた。「文化は万能ではないが無力でも無い」という視点に感動したという声が数多く寄せられた。

広報 山田 峰子

2pasuteru.jpg主催:目黒区教育委員会
主管:NPO法人目黒ユネスコ協会

「パステルで気楽にスケッチしよう」
講師:瀬川智貴氏(画家・明星大学デザイン学部講師)
2月5日~3月5日木曜全5回 緑が丘文化会館 
目黒ユネスコ美術展でおなじみの、画家瀬川智貴氏の丁寧な指導の下、5回の授業で2枚の作品を仕上げた。
最終日に作品を並べて講師に総評してもらい、皆さん一喜一憂。参加したフレンドシップメンバー3名にも好評だった。

rozasi.jpgのサムネイル画像「伝統刺繍絽刺しで根付け(ストラップ)を作ろう」
講師:黒川朋子氏(絽刺し刺繍家)
2月6日~3月13日金曜全5回 緑が丘文化会館 
小さなパネルに張った絽にカラフルな絹糸で模様を刺していく。次第に形になってくると参加者に笑顔。
5回の講習をおえて「もっと続けて習いたい」との声が上がり、1200年の歴史ある伝統刺繍絽刺しを今に伝え生かすべく地道に活動する黒川朋子講師も手ごたえを感じられたようだ。 

美術教室担当 望月 昇

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