ユネスコ日本語教室は1987年に始まりました。最初はベトナム難民のための日本語支援で、生徒は7名だったそうです。それが今や世界35カ国から、120名以上の外国人が集う大教室に発展してきました。現在は学校サポートセンターと五本木小をお借りして活動をしています。スタッフ33名で日本語の指導はもちろんのこと、会計係、文書係、教科書の運搬係などを分担し、何とかやりくりしています。
2011年の震災のときは学習者が激減し、大変寂しく辛い思いをしましたが、昨年からまた多くの外国人が教室を訪れ、ようやくにぎわいが戻ってきたと喜んでいます。 授業は平日の朝・夜・土曜日と3つの時間帯で行っています。初級から中上級まで、どの曜日でも学習者は自分のレベルに合わせて6つのクラスから選ぶことができます。土曜日は特別に漢字を勉強するクラスもあります。120名もいると、国籍も職業も習慣も様々で、本当に国際色の豊かな集まりです。
日本語の指導というのは日本人なら誰でもできそうで、なかなか難しいものです。「先生、『私が田中です。』と『私は田中です。』はどう違いますか。」など、少し考えただけでは答えられないような質問をよく浴びます。講師は授業では冷や汗をかきつつ、それをバネに常に勉強を怠らず、どのようにしたらよいクラス運営ができるか工夫を重ねる毎日です。 大変なこともたくさんありますが、皆楽しいからこそ続けてこられたのだと思います。ときに教室にいながら新鮮な異文化体験をすることもあります。例えばある日の授業で「皆さんの国では、結婚のお祝いに何をあげますか。日本ではお金や電気製品や家庭用品などですね。」の問いに、ボツワナの生徒は「私の国では牛1頭をあげます。」との答えです。「まあ!牛ですか。」「はい、牛のミルクを飲むこともできます。肉を食べることもできます。売ることもできます。牛があればいろいろできます。」「なるほど、すばらしいプレゼントですね。」というやりとりの間、広大なアフリカの大地とのんびり草を食む牛、という光景が目に浮かび、こちらまで幸せな気持ちになりました。また別の日には「○○さんの国はどこですか。」と聞くと、「私に国はありません。世界市民です。」という返事。それはそうです。みんな世界の中の1人のはずです。その日以来、改めて国にこだわることの意味を考え始めています。これからも教師と生徒、互いに教えたり教えられたりしながら、皆で「明るく楽しく真剣な」教室作りに励みたいと思います。そして教室の一人一人が、学んだことを日本での生活や仕事、日本理解に大いに役立ててほしいと心から願っています。
日本語教育委員会 嘉納 優子
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