目黒区では、これからの時代を担う小・中学生を対象に、平和の尊さについて考え、学ぶ機会を提供するため、毎年8月5日から7日に「平和の特派員」として広島市へ派遣する事業を行っています。今年、区主催の「平和祈念のつどい」の舞台で、昨年参加した渡辺レーファさん(目黒ユ協 年少会員)が、特派員体験報告を発表しました。一部抜粋して掲載します。
【ヒロシマ特派員報告 その1】 2015年8月6日 区民センター 渡邊 レーファ
今から70年前、広島に1つの原子爆弾が落とされた。その数秒で14万人の人々の未来、幸福、夢や希望などを消した。何もしていない命がそこにある。その命はなぜあの日、奪われなければならなかったのだろう。そう思い私は、広島に学びに行きました。
広島では、被爆者の朴さんから話を聞くことができました。朴さんは当時12歳、私と同い年です。あの日何が起こったのか、恐ろしい体験を語ってくれました。
―中略―
今、ふつうに食事している。家族と会話している。困っていたら必ず誰かが助けてくれる。そんなこと当たり前に感じている。でもあの日は、家族みんなが揃わない。おなかがすいても食物がない。歩いても人に会わない。辺りには死体ばかり...そんなことが当たり前だなんて、私なら生きる希望さえ無くなってしまいます。
広島で3日間、学んで感じたことは、「命の大切さ家族の大切さ」です。これから私がインドネシアと日本の間で生きていくために必要なこと、同じ地球で生きている人達を国籍で差別してはいけない、ということを学びました。それができれば戦争がなくなり、二度と70年前の広島で起きた事を繰り返すことはないと思います。
次の平和の道へと導かせるのは私達なのです。これから私はユネスコ青年部として、広島で学んだことをいろんな人に伝えていきたい。そして自分のできることを精いっぱいし、平和についてさらに深く考えていきたいと思います。
【ヒロシマ特派員報告 その2】 2015年8月5~7日 広島
次世代の子供たちに戦争の悲惨さを身近に感じてもらうこの目黒区の「平和の特派員」活動に、今年は30名以上の子どもたちが参加したそうです。
目黒ユネスコ協会からの千羽鶴は、区内の他の皆さんの物と共に、子どもたちの手で平和記念公園「原爆の子の像」に平和の祈りを込めて供えられました。
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