ヨーロッパ世界で驚異的な勢力拡大を遂げたハプスブルク家は、600年以上にわたりウィーンを都として華麗なる宮廷文化を花開かせた。美術史美術館にあるハプスブルク歴代王の収集品は至宝と呼ばれる。黄金のサリエラは、塩壺。海の神と大地の女神が向かい合う。写真手前の凱旋門の屋根を開いて胡椒を入れ、反対側にある船に塩をのせたという。 
ドラゴンが装飾された杯には、ルビー、エメラルドが輝き、本体はラピスラズリで出来ている。王家の新年のテーブルを飾ったのだろうか。
ウィーンの旧市街は、19世紀に大規模な都市改造が行われた。市街を囲む要塞が撤去され、跡地に1周5kmの環状道路(リンクシュトラーセ)が造られた。その周辺には、様々な建築様式を集めた野外博物館と呼ばれるほど、壮麗な建物が次々と建造された。ネオ・ルネッサンス様式の国立歌劇場、ネオ・ゴシック様式の市庁舎、古代ギリシャの神殿建築を模した国会議事堂。

美術史美術館もそのひとつであり、内部の装飾も芸術作品そのものである。この都市改造は、人口増加に伴う対策、そして新時代の幕開けを国内外に示す帝国の威信をかけた改革であった。

昨年「ウィーンの歴史地区」が「危機遺産」に登録された。「危機遺産」とは、世界遺産としての価値がこのままでは失われてしまう恐れのある遺産のことである。ウィーンでは、3年前から高さ73mの高層ビルを中心にホテルやスケートリンクなどを整備する都市開発が計画され、ユネスコは、景観が損なわれるとして改善策を求めてきた。行政も後押しをするこの事業に、市の担当者は『ウィーンは博物館ではない。人々が働いたり暮らしたりしている、ここは生きた街である』と話す。少子高齢化が進むウィーン市。社会保障費が増加し新たな税源の確保が求められる中、都市開発によって新たな企業や富裕層を積極的に誘致する必要があるという。ウィーン市はユネスコとの話し合いを進め、2月に議論の結果がまとめられる予定である。
“生きた街“という言葉が耳に残る。19世紀の都市改造がそうであったように、後世の人々から「21世紀の都市開発は見事だった」といわれるようになることを願うばかりである。

世界遺産アカデミー認定講師 雲野右子 会員


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