2018年3月17日(土)14:00~16:00 中目黒住区センター 第5・6会議室
主催:目黒区教育委員会 主管:NPO法人目黒ユネスコ協会 参加:56名
講師:加藤康子氏 (内閣官房参与)

2015年ドイツボンにて登録された今回の世界遺産は8県11市23の資産で構成される遺産群だ。このユネスコ講座でも、何回か世界遺産についてはとりあげられていたが、「遺産群」という言葉は初めてだった。私にとってはそれからして不明点だったが、この登録提唱者である加藤氏の明確で熱意あふれた話に引き込まれていった。
受付で配られた資料に、遺産群の写真の載っている小冊子とマップがあった。そのマップによると、釜石、韮山以外は、すべて山口、九州である。
明治における産業の勃興は、江戸時代鎖国政策をしていた日本にとって、諸外国とは異なった歩みであった。ペリー来航により江戸は危機感を抱き、大型船舶の建造を諸藩に推奨した。いち早く反応したのが、中国に近い佐賀、長州、薩摩で、すでに幾人かが渡航し、近代工業知識の吸収に努めた。(1)製鉄、製鋼分野では、大砲などを作るための鉄を溶かす反射炉が築かれた。たたら製鉄に代わり鉄鉱石から銑鉄を作ることも可能となった。日本初の銑鋼一貫製鉄所が八幡製鉄所である。(2)造船分野では佐賀藩の蒸気船「凌風丸」(りょうふうまる)の建造を手始めに、三菱重工業長崎造船所が日本の造船業を牽引した。(3)石炭産業は船や鉄道のエネルギーとしてなくてはならないものだ。長崎高島炭鉱に始まり、端島(軍艦島)三池炭鉱と続き、三井に払い下げられた後、三池港を築造した。
このように、西洋技術を真似た試行錯誤の時代から、西洋から機械人材を直接導入する段階を経て、本格的な産業化をわずか50年足らずで達成することになった。顕著で普遍的価値を有しているのである。
後半、加藤氏は、端島の元住民の方々のインタビューを3本流された。それは、登録時「端島で、朝鮮人徴用、過酷劣悪な労働、虐待があった」という印象操作への反論である。実際のかつての島民の話を聞けば、流言飛語であることは明白である。
最後、加藤氏は「過去のことも議論すべき。日本人は対立を恐れ、議論を避けてしまう。議論こそ理解につながる」と力強いメッセージで締めくくられた。

広報 清水 敦子


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