講師:平井憲太郎 氏  株)エリエイ代表取締役・としまユネスコ協会代表理事
主催:目黒区教育委員会  主管:NPO法人目黒ユネスコ協会  参加:49名
日時:2022年9月18日(日)10:00~11:30 会場:中目黒GTプラザホール

講師の平井憲太郎氏は、出版関係がご専門との自己紹介後、敬愛する祖父江戸川乱歩氏の足跡を、親しみを込めて語ってくださった。
(以下概要)
江戸川乱歩は没落貴族の末裔だった。1894年三重県名張町で誕生し、名古屋で少年時代を過ごした。乱歩は、内向的、几帳面で、整理好き、記録魔であり、詳細な家系図、住所一覧、付近の地図などを手書きで残している。外国語も堪能で、原文で英米文学を読みこなした。早稲田大学卒業後、商社に入社したが、1年で退社。その後様々な職業を転々とした。引っ越しは生涯46回。
鳥羽の町で、知り合った女性と結婚した。その後大阪毎日新聞に入社。しかし新聞社もまたすぐ辞め、単身、上京し、いよいよ本命だった小説家を目指した。
若いときから温めてきたネタで小説家としてデビューすると、一躍、人気作家となった。「陰獣」「一寸法師」「孤島の鬼」等、妖しい連載小説を多数発表した。だが3年目にして、小説のアイデアに行き詰まった。それまで蓄財した資金で賄い付きの下宿屋を開業。これを家族の生活基盤とし、下宿屋経営は妻に任せ、「俺は遊びに行く」といって、半年余の長い放浪生活を度々繰り返した。この頃から全集出版が可能になり、経済的に安定してきた。また自身の蔵への憧れから、「土蔵の中で、ロウソクの明かりのもと、創作活動している」という、幻惑的なイメージを演出し、読者を驚かせて楽しんでいたようだ。
短編小説「芋虫」(近年、キャタピラとして映画化)を発表したところ、風紀を乱す、という意味で、発禁とはならなかったが、注文がピタリと途絶えてしまった。加えて、小説家は本来ストレスフルな職業なので、あれやこれやで体調を壊し静養を余儀なくされた。  
その後、子ども向けの探偵小説を書いてみないか、と勧められ、1936年、怪人二十面相など、多数の少年向けの作品を発表し、子どもたちから絶大な人気を博した。当時のファンレターが、今も大量に残っているが、乱歩は大いに勇気付けられたことだろう。
戦後はもっぱら、評論活動、海外小説の収集や翻訳、ローマ字運動、探偵小説の後継者育成などに身を投じた。また自身の全集出版やラジオドラマの原作など、経済的に安定した時代を迎えた。
「純文学界から、探偵小説は低く見られている」という反発から、探偵作家クラブや、捕り物帳作家クラブ、また、江戸川乱歩賞を設立した。この賞は現在でも実力ある新人推理作家の誕生に大きく貢献している。晩年は、パーキンソン病等の成人病で苦しみ、1965年、享年70才で没した。
(質問タイム)
①会場から若い時代に図書館の乱歩全集を全部読みました、という笑顔の発言が続いた。②鉄道ミステリーはありますか?という質問に、平井講師は、松本清張の「点と線」のような作品はないですね、と答えられた。③江戸川乱歩の名前の由来は?に、米国小説家の名前をもじったものだが、本人は「江戸川(当時は神田川)で、乱歩する」という趣向も込めていたとのこと。
私たちは、お孫さんの視点で語られた、乱歩の生い立ちから晩年までや、苦節を乗り越えた創作活動のお話に、乱歩小説にわくわくした若い頃を懐かしみ、また温かい感動を頂いた。

研修委員会 斉藤 真澄


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