今日8月15日は終戦から80年、私は当時7歳でした。
品川区御殿山の生家を建物疎開で強制的に撤去させられ、大田区久ヶ原に住む叔父の家に避難した時から私の戦争体験は始まります。久ヶ原は閑静な邸町ですが近くに高射砲陣地があったので、激しい空襲に見舞われました。昼夜を問わずB−29が来襲しますので、着の身着のまま庭に掘った防空壕を出たり入ったりしていました。B−29を迎撃する高射砲が撃たれるのですが、その音と地響きがすさまじく、眠れぬ夜を過ごしていました。さらに怖かったのは、海から艦載機が低空飛行でやってきて、動いている人を直撃するのです。子どもの私は、道路脇の溝の中を這って逃げた記憶があります。
 命の危険は空襲だけではありません。食べものがなく、いつもひもじい思いをしていました。近くの土手で、アカザやハコベ等の雑草を摘んで、みそ汁やお浸しにして空腹をしのぎました。水の様な雑炊の配給に鍋をもって並んだ事もあります。今のガザの子ども達と同じです。いよいよ命の危機が迫り、新潟県加茂市に疎開しました。加茂には空襲はありませんでしたが、米処にも米はなく、母は着物を持って農家に買出しに行っていました。
 食べる物があり、夜は安心して眠れることが ‘平和’ ではないでしょうか。
 世界の紛争地域に一刻も早く平和が訪れますことを切に願っております。

広橋泰子 (目黒地域女性研究会代表・目黒ユネスコ協会会員)
写真:坂のある町で~地域で活動する女性たちのあゆみ~代表発行人

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