日時:2025年8月3・4日 場所:宮城県気仙沼市

『東日本大震災遺構・伝承館』は2011年3月11日に起きた東日本大震災での津波等で被災した『旧 宮城県気仙沼向洋高等学校』(現在は移転)を自然災害との向き合い方や防災を学べる施設として2019年3月10日に開館された。館内で見たビデオでは、震災後に強く生きている方々の姿に涙が溢れた。語り部ツアーでは、津波は4階まで達し校内に残った人々は屋上まで避難し夜を明かしたこと、3階の教室に流れ着いたまま保存されている車の重さが1.5tあることなどを見聞きし、地震後の津波がいかに恐ろしいかを知った。同校は防災教育の成果として1人の犠牲者も出さなかった。
『気仙沼市復興祈念公園』は、東日本大震災の記憶を後世に伝え、未来の安寧を誰もが祈念することができる場所として2021年3月11日に開園された。港を見渡せる高台には、犠牲となった方々の名前を刻む銘板とモニュメント「祈りの帆(セイル)」があり追悼の気持ちを寄せることができる。私もセイル内に入り静かに祈った。
★目黒区と気仙沼市は2010年9月18日に友好都市協定を締結した。目黒ユネスコ協会とも交流があり『めぐろユネスコチャンネル』の気仙沼だよりや青少年フェスタでは、松圃寅舞(まつばたけとらまい)羽田神楽鶏舞(はたかぐらとりまい)馬籠ばやし(まごめばやし)崎浜大漁唄込(さきはまたいりょううたいこみ)などが紹介されている。       

広報委員会 太田 優枝

追記 東日本大震災復興支援 当時のこと   
忘れもしない2011年8月26日、まだ気仙沼港の復興が遅々として進まない時期、相良会長を筆頭に宮下、望月が青年部5名(計8名)を朝
6時から東北道を望月の車でひた走り、トイレ休憩もそこそこに12時半に気仙沼教育委員長表敬訪問、気仙沼ユネスコ協会の事務局長に港の案内をいただき、被災しなかった城南中学(校庭には仮設住宅が設置)に支援寄せ書きと海外から来たお見舞い状を手渡し交流、帰りは最後の青年を送る時には12時を回った強行軍だった。あの時の青年たちにはまだ臭いがきつかった港を見てその後の支援活動に力が入ったと感じた。2012年のめぐろサンマ祭りから2019年のコロナ前までの毎年2泊3日で7回に及ぶ気仙沼の各校児童を招聘し田道広場で伝統芸能を目黒区民に披露。並行して当協会会員の気仙沼支援訪問も続いた。                        

理事 望月 昇


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